雪解けは遠い

除雪したい動物看護師日和

縁を育てるとは

『執事に学ぶ 極上の人脈』
著:新井 直之(日本バトラー&コンシェルジュ代表取締役)
きずな出版

を読んだ。
父が母へと買ってきた本を拝借させてもらったのである。


執事と聞くと真っ先にセバスチャン・ミカエリスと執事の館を思い出す、日常生活で執事に縁のない私であるが、極上の人脈という響きに興味を持って、本に手を伸ばした。







「大富豪ってほんとにいるんだ…」
という大層間抜けな感想を、読了後まず思った。


しかし本書が言いたいことはそんなことではない。
人付き合いをする上で大切なことが、非常に分かりやすく書かれており、とても納得できた。


今日は、本書から学んだ私でも日常生活に役立てられることを、忘れないように箇条書きで書いていきたい。












✩人脈とは、「好きな人」に「見返りを求めず」「貢献を続ける」ことで、長い時間をかけて拡がって強固になっていく。


✩「自分から」好きな人や好きになりたい人に何度も「声をかけ続ける」ことが、縁を育てる水やりになる。


✩「短い時間」で自分を知ってもらう「アピール」が、興味をもってもらうコツ。


✩第一に「歓迎」
 第二に「さりげない質問」
 第三に「失敗談」
 第四に「縁のあるプレゼント」


✩自分の「ホームグラウンド」に相手を引き込んで、心の距離を縮めると同時に「この件はこいつが詳しい」というポジションを確率しよう。


✩合言葉は「見た目が9割」。TPO、カラー、自分らしさを見た目から押し出すことは、自分を伝える手段の一つ。


✩notガツガツ、yes世間話。








詳しくは書籍を手にとって見てほしい。









さあ、✩を実践して私もコミュ力upを…と思うが、実際にこれらを自然にできるかは話が別である。
ただ頭の片隅に置いておいて、日常生活でも忘れないようにしたい。
大好きな人たちと、いつまでも縁が続くように。

精製水とは

先輩「精製水と水道水の違いは?」
私「精製水は…綺麗です」

この後お局にめっちゃ陰口叩かれた。








それも当然である。
医療従事者として、この回答は未熟だ。
出直せと言われても仕方がない。

と言うことで、今日は精製水について書いていこうと思う。






精製水とは、真水から不純物を取り除いた水である。

真水でも十分綺麗だと思うかもしれないが、実際は真水の中には色々な物質が含まれている。
例を上げるとミネラルや塩素などだ。

これらは決して毒ではなく、日常に溢れているものである。
水道水に塩素は入っているし、ミネラルウォーターは自販機の常連だ。









しかし薬剤を溶解する時、これらの不純物が邪魔をする。
薬以外の必要のない物質が紛れていたら困るという訳だ。

だって純粋に薬の成分以外が薬に紛れてたら怖いでしょう。
一つ一つの物質は安全性のあるものかもしれないけれど、それにしたって嫌でしょう。




だからこそ、精製水がある。
イオン交換、蒸留、活性炭処理、膜処理などの工程を経て、不純物を取り除いた不純物/zeroの水、それこそが精製水なのだ。
医療現場の強い味方である。



だから、精製水入れる容器を水道水で洗ったりはしないようにね。
乾燥するだけで十分だからね。









因みに取り除いた不純物の中には水の保存能力を少し高める塩素等が含まれていたため、精製水は雑菌に弱い。

一度菌が入り込んだら繁殖するスピードが速いし、腐りやすい。
管理には十分注意し、一度開けたら早く使うようにしよう。

AHT、とは

仕事何してるの?と聞かれて動物看護師ですと答えると、十中八九「へ、へぇ?獣医と違うの?」という反応が帰ってくる。

正直、動物病院に我が子を連れて行ったことがある人で(ああ先生以外の人ね)という認識だろうし、動物を飼育したことがない人ははてなが頭上に浮かぶだろう。
私の仕事はまだまだ認知度が低いのだ。

学生時代、学校機関の理事が「国家資格化が近く、知名度はますます上がるし、安定した生活ができるはず!」と言ってはいたものの、国家資格化の実現は2016年の今でもされていない。
涙拭け、私。







そもそも動物看護師とはどんな仕事なのだろうか。
幼い頃の私は「動物をいっぱい触れる」「獣医みたいに手術で切ったり命に直接関わったりしない」と元気よく答えてくれるだろう。

残念ながら、その答えに丸はあげられない。






実際の動物看護師の仕事を簡単に言うと、
【獣医師がやりたい作業に集中できるよう、他の全てをこなす万能サポーター】
である。

資格としては、2016年現在では、動物看護師育成機関等の民間機関が主体となって試験・発行を行っており、資格所有者は「AHT」「VT」と呼ばれ動物医療の世界に飛び込んでいく。

動物看護師(Wikipedia)






「獣医だけでは駄目なの?」という考えがあるなら、少し考えて欲しい。
獣医師の業務は基本的に「診察」「処置(治療・手術)」「処方」だ。
ではそれだけを行っていたとして、病院の経営が回るのか?
答えは否である。

診察や処置を行っている間にも他の患者が来るし、電話もかかってくる。
薬を処方しても人間のように薬局で作ってもらう訳にはいかない。
そもそも診察しようにも、相手は動物だ。
じっとしているとは限らない。
院内の掃除や足りないものの発注まで、やらねばならないことは山積みだ。



その為に私達がいる。








私達の基本的に行っている業務をざっと並べると、

・受付,会計,電話対応
・問診→問診のカルテ記入
・診察室の準備→獣医師に診察依頼
・診察補助(保定、必要器具の準備等)
・検査(血液検査等)
・処置準備→処置補助(手術助手等)
・薬の作成
・入院動物の管理→何かあれば獣医師に報告
・院内清掃
・在庫管理,発注,業者対応
(・スタッフのシフト管理)
(・病院で飼育している動物の管理)

といった感じだろうか。
勿論「獣医師がどこまで求めるか」「規模」「予約制か否か」「受付専門等業務が分かれているか」によって、病院ごとの個性は大きい。



ここでうわっと思った過去の私、そうさよく考えな。
病院での一日は、

患者「すみませーん初めて来たんですけど」
獣医「こっち補助入って!」
電話「Prrrrr」
獣医「急患が来たよ!」
患者「薬まだですか?」
獣医「手術の準備できてる?」
業者「新キャンペーンでこのPOPを…」
在庫(残り少ないよ)
検査(早く次の工程行って)
患者「ごめんなさい待合でおしっこしちゃった!」
獣医「ねぇ手術の準備できた?」

私達「今行きます!!!!」

という風に過ぎていく。
(勿論言われる前に気づいて準備等進める、“かゆいところに手が届く”仕事ぶりが求められる)







ここまで読んで(頑張ろう!)と思えたら、きっとこの仕事に向いているんだろう。



ああそうそう、お局やお局のお気に入りがグループを組んでいる職場なら、上記の会話の間に

お局「あの子が自分で気づいてやってくれない気がきかない」
周り「ですよね〜!」
お局「勝手にやらないで」
周り「ですよね〜!」

というHEY!YO!の如しラップのリズムが刻まれるが、それにも負けないでほしい。

きっとそれは、女性主体の職場なら多かれ少なかれあることだ。
誰か一人でも有力な味方をつけるか、ストレスを体調不良という形で訴えることで、多少の柔和はあるだろう。



後、相手は動物で、職場は医療機関だ。
糞尿、嘔吐、涎、血液、内蔵とのご対面は頻繁だし、生傷は絶えない。
巨体を持ち上げることも、重い荷物を運ぶことも、日常茶飯事の為、腰痛に負けないための体つくりは将来のために必須である。
飼い主も物分り&金払いの良い人だけではないが、全ての対応を獣医師任せと言う訳にはいかない。




ともかく、検討を祈る。





因みに給料、待遇は、よほどの所でもない限り期待できない。
週休2日、残業代、ボーナス、有給、昇給…それらは夢だと考えていると、もらえた時の喜びが増す。

Carrier Garden

「動物が好きだから」
「お金のためではない、動物のために働く」
そういう精神の猛者の努力と根性で、この職業は成り立っている。

因みに私は複数の獣医師から
「命のために頑張るんだから、待遇は望むものではない」
と言われた。
その時「そうですよね!流石先生!」と返した過去の私を、今の私は殴りたい。











ここまで書くと、過去の私はこの道に進むことを絶望するだろう。

しかし、意識が朦朧としていた子が初めてしっぽを振った時、麻痺していた足を使って走り回る姿を見た時、毎年元気に飛びかかってくる巨体を受け止める時、新しい命が手のひらで安心しきって寝ている時、飼い主さんの笑顔を見られる時、本当にこの上ない喜びを感じるのだ。




理不尽な業界だと思う。
それでも、私は今日も白衣に身を包む。
動物たちと飼い主さんの助けに、少しでもなれていると信じて。

雪降り積もる

憧れだった動物看護の世界に飛び込んでは見たものの、現実は厳しい。
「動物と触れ合える和気あいあいとした笑顔溢れる職場」は幻想だったのだ。



そもそも動物看護師という職業を知ったのは高校生の時だった。
“獣医師の補佐”という漠然なイメージは、私の脳内で“白衣のエンジェル”“優しいお姉さん”に都合良く変換され、幼い頃から鹿に真正面からぶつかって角型の痣を作る程動物好きだった私は、純粋無垢にその道を志すようになる。
数年後、学生時代の実習先であっさりと内定が決まり、この業界・職場のデメリットを全く熟考しないまま華麗なる社会人デビューを果たした。

そして、その直後、見事に躓いたのである。




一体何がいけなかったのか。
私の満月のような丸い顔や、足りないオツム、実用性皆無な低身長、そして壊滅的な不器用さは、まあ関係あるだろうが、この際置いておく。
その上で一体何がいけなかったのだろうか。





答えは既に出ている。
圧倒的リサーチ不足である。



私はポジティブな部分しか見ていなかったのだ。
学生時代友人たちとしていた、

「仕事絶対辛いよねぇ」
「覚えなきゃいけないこといっぱいかな嫌だなぁ」
「「社会人大変そう〜でも先輩達教えてくれるだろうし何とかなると良いな〜」」

という会話を現在の私が聞いたら、確実にお巡りさんの仕事が増える。
何も分かっていない、無知、天まで突き抜ける根拠のないポジティブ精神、それらは罪だと泣きながら叫ぶだろう。
誰が有罪判決を下すのかって?

勿論、未来の私だ。







この埋もれたようなブログは、そんな過去の私に送る、今の私からのメッセージである。
過ち、経験、工夫、想い、私の中で咀嚼したそれらを記録することで、何も知らなかった過去の私が「そうだったのね!」と笑ってくれたら、きっと、今の私も過去の私の手を引いて、一緒に前に進めると思うのだ。